トルコ・日本 友好の道

イスタンブールの海沿いの通りが、1000人以上のトルコ人を救った日本の将校にちなんで「Yukich Tsumura」通りと名付けられる事になりました。

さかのぼること約100年、第一次世界大戦でシベリアに抑留されたトルコ兵1012人をロシアの了解を得て旧日本軍が解放したのは1918年の事でした。
彼らをトルコに送還するための輸送船「平明丸」の司令官に任命されたのが津村幸吉中佐です。

1921年2月23日に出航した平明丸は4月5日にエーゲ海で当時トルコと対立していたギリシャに拿捕され、トルコ兵の引き渡しを要求されます。
津村中佐は要求を拒否。長期抑留で物資が不足していく中、彼を始めとする日本人乗組員もトルコ兵とともに船上で過ごしギリシャ軍に抵抗し続けたのです。

イタリアの仲介案によりトルコ兵たちがついに母国にたどり着くことが出来たのは1922年6月19日の事でした。

トルコ兵士をギリシャに引き渡さず、勇気を示した津村中佐の名前をベイコズ地区の通りに付ける事を協議会に要請したのはイスタンブール市議会議員のサドゥッラー・カバハサノール氏。
協議会の承認を得て今月にも正式に「Yukich・Tsumura」通りが誕生する予定です。

平明丸事件と呼ばれるこのエピソードはHAYRİYE SAVAŞÇIOĞLU(ハイリイェ・サバシュチュオール)監督によって映画化もされています。
興味がある方は「平明丸 母国トルコへ帰るとき」を是非ご覧になってください。

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